奇跡のリンゴのお話です2013年には映画も発表され、
イタリア・フィレンツェで開催されたフィレンツェ映画祭で、同映画祭唯一の賞である観客賞を受賞しました
その中に登場する奇跡のリンゴを作った張本人、木村秋則さん
『奇跡のリンゴ、あらすじより』
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⇒1970年代の青森県中津軽郡岩木町(現・弘前市)。三上秋則はリンゴ農家・木村家の一人娘・美栄子と結婚して木村家に婿養子入り、サラリーマンを辞め、美栄子と共にリンゴ栽培にいそしんでいたが、ある日、美栄子の体に異変が生じる。美栄子の体は年に十数回もリンゴの樹に散布する農薬に蝕まれていたのだ。
秋則は美栄子のために無農薬によるリンゴ栽培を決意するが、それは当時、絶対に不可能な栽培方法と言われていた。秋則は美栄子の父・征治の支援を受けて無農薬栽培に挑戦するが、案の定、何度も失敗を重ね、借金ばかりが膨らんでいく。次第に周囲の農家からも孤立していき、妻や娘たちにも苦労をかけてしまう。
10年の歳月がたっても成果が実ることはなく、窮地に追い込まれた秋則はついに自殺を決意、1人で岩木山に向かう。すると、彼はそこで自生した1本のくるみの樹を発見、樹木は枯れることなく、また害虫も発生していなかった。秋則はその樹を見て、これはりんごの木でも同じことが考えられるのではないかと思う。これが奇跡の大逆転の糸口となる。
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絶対不可能な方法を可能にした、木村さんの本に『病気』について書かれている場面がありました。
友人がガンに冒され、お見舞いに行った時の話し。手術もできない、ただ死ぬのを待つばかりだ。と諦めている友人に、、、
あと一年も生きられないなら、思い切ってガンと仲良くしてみたらどうだろう?
だってよ、あなたが死んでしまったら、ガンだって生きていけないでしょ?
だったらさ、ガンにさ、共に仲良く生きようぞ!と話しかけてみたら?
友人は「それもそうだな」と言い、毎日ガンに話しかけたそうです
おはようございます!今日も一緒に生きていきましょう!
お元気ですか?今日も私を生かしてくれてありがとうねー!
それから3年、、、余命1年はとうに過ぎてしまったそうです
最後に、『病気は自然の一部。ガンと仲良く。ガンと話す。ガンと共に生きる。 こういった考え方があってもいいのではないか、と思います。』
長い文章になりましたが、この本は必見ですこの他にも地球のためになる内容がぎっしり詰まっています